2015年8月12日

旅の思い出4

青く光る山、イジェン山へ2泊3日のツアー。
2日目、夕方18時前にイジェン山ふもとの小さな村に到着しました。


青い場所は頂上近くにあるので本格的な登山になります。で、夜じゃないと見れない。
そんなわけで、仮眠しただけで深夜1時半にホテルを出発。


もう旅行が始まって以来、毎日毎日早起きばっかり。
修行でもしている気分です。。。



ミニバスで標高1900mの登山口へ。
登山ガイドさんが1人付いて、ツアー参加の15人のグループで登山開始しました。

帰りに撮った写真で行きは真っ暗です。目の前の山頂付近まで登る。



普段から登山が好きなので、開始すぐにわかる現実。
登るペースがめちゃめちゃ速い。
さすがメンバー全員ヨーロッパ人。

そして登山道は富士山と似た感じです。
砂利でスリッピーだし、かなり急な坂。


すぐに息が乱れ、奥さんもグループから遅れだす。

とにかく火山ガスの山で、真っ暗な登山道をヘッドライト1つで登っています。ここではぐれたらもう生きて帰れないと思い、必死で奥さんを励ましながらついていきました。

でもアジア人が他のグループにも居ないおかげで、暗闇で遅れてもすぐガイドさんが気づいてくれる。そばに来ては励ましてくれて、なんか頼もしすぎる存在。



そんな心折れそうなペースで、1時間10分で山頂に到着。
あとでGPS時計を見ると、登山口からの標高差はたったの500mでした。でも500mとは思えないつらさ。

行きはまだ真っ暗。白いのは雲じゃなくて火山ガス。



頂上ではガスマスクのレンタルの商売をしている人がいました。ありがたく人生初のガスマスクをしてみる。

ただ、何度も使いまわしているマスク。
ガスマスクの仕組みは知りませんが、きっとフィルターがあるのだと思います。で、そのフィルターはもう役目を終えた感じで、効果がわからないほど火山ガスで苦しかったです。


そして頂上から急な崖を150m、30分かけてくだります。富士山で言うなら頂上の火口に降りていく感じ。




いつの間にか、前にも後にもライトの光が見えなくなり、奥さんと2人だけで下っていました。そんな時に、初の猛烈な火山ガスに飲み込まれる。

急斜面の崖の途中にいるのに足元も見えない濃いガス。危険を感じて引き返したいけど、一歩も動けない状態におちいりました。

あまりの苦しさでガスマスクを衝動的にはずそうとしてしまう。
でも、はずしたらもっと危ないと我にかえります。
奥さんも目が見えないと叫びだす。(目じゃなくて前が見えなかっただけみたいですが、こんな時にまぎらわしい表現。)

誰もいない不安な空間で一瞬死を感じました。風向きが変わるまでたぶん1分くらいのことですが、終わりがわからずとても長かったです。

薄いガスに飲み込まれた時。じっと動かずに待つのみ。



その後も何度もガスに飲みこまれる。
飲まれるうちに耐え方がわかってくるのですが、それでも鼻水がジュワーと出てくるし、目は痛いし、肺がビリビリ痛くなってくるし。水泳用のゴーグルを持っていくといいかも。

で、遠くで外人さんが必死に叫んでいたり、あちこちで激しく咳きこんでいたり、引き返している人がいたり。同じグループのドイツ人も引き返そうとしていてガイドさんに励まされている。


そんな感じでやっと着いた青い炎が燃える場所。

でも残念な事に、この日は空港が閉鎖になるほどの噴火が隣の山で発生。イジェン山も火山活動が活発だったのだと思います。ガスが大量に噴出していて、青い炎が隠れている。。。





なぜか赤にも光っている。




なんとなく炎っぽいけど。。。


近づくと熱波を感じます。


硫黄を削って運ぶ。カゴは70キロほどの重さになるみたいです。



硫黄を運んでいる人はガスマスクをしていない。過酷で危険な仕事。


1回運んで千円ちょっとの金額だったはず。でも、イメージと違ってみんな気持ちのいい人ばかり。そして、しっかり記念撮影でチップを稼いでいました。




一応"死の湖"と呼ばれているそう。ウソかホントかわかりませんが、高濃度の硫酸が溶け込んでいて、頭から浴びたら死ぬそうです。


観光客たくさん。みんな西洋人。


雲じゃなくて火山ガス。


バリ島とか5つの空港を1日半閉鎖にさせた噴火。確かに遠くまで流れている。噴火の大きな爆発音が何度も響く。



あれから一ヶ月経ちましたが、いまだにこの時を思い出すと硫黄の臭いがよみがえってきます。しばらくは温泉卵食べられないです。。。


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旅と音楽とちょっとのお金
http://metde.gozaru.jp/

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